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怠惰な人のイメージ

放蕩は、形を変えた一種の自己犠牲である

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沖仲仕として働いたことから「沖仲仕の哲学者」とも呼ばれるアメリカの社会哲学者、エリック・ホッファーが、放蕩(ほうとう)や怠惰な生活について述べた以下の言葉が印象に残っています。

放蕩(ほうとう)は、形を変えた一種の自己犠牲である

エリック・ホッファー「魂の錬金術」

難しいように感じるこの一言について、「まいにち哲学」では以下のようにわかりやすく解説されています。

遊びほうけることは、情熱的に「罪悪感」を積み重ねることとも言える。つまり、活力の無謀な垂れ流しである。

刹那的な快楽に身を委ねていると、結果的に小さな罪悪感が自分の中に積もっていくだけで、何の身にもならないことが多い。

積もり積もった小さな罪悪感は、最終的に自分の活力をむしばんでいく。

原田まりる「まいにち哲学」

「すごくよく分かる」「これ自分のことだ」と思われる人も多いのではないでしょうか。かく言う自分にもまさに当てはまることで内心ドキッとさせられます。

気持ちの上では「読書に時間を費やそう」と思っていても、ついゲームの方にも手を出してしまう。そしてそれが習慣化してしまう。

ゲームが一概に良くないとも思っていないのですが、自分のコントロールを離れて時間を費やしてしまうと、まさに上の解説にある通り「またやってしまった」という罪悪感が積み重なることがよくあります。

自己管理の大切さに繋がるところだと思いますが、エリック・ホッファーのこの言葉は自分にとって心の片隅にいつも抱いておくべき大切な教訓だと思わされます。

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